
第2章
(再び北へ)
(4)
| 美沙には、敢えて札幌に行くことは伝えなかった。 電話をもらって、すぐに行くことを言うのも、何となく安っぽいような気がしたのである。 あるいは、それは瑚堂の大して意味もない見栄かも知れなかった。 一方には、黙って行くことで驚かせたいという気持ちもあったのも事実である。 YMM誌編集長の渡部からは、読者から送られてきたという投書の内容が、ファックスで送られてきた。 投稿者は、札幌に住む綾部園子という二十七歳の女性で、病院で事務職として働いていたらしい。 その病院の若い医師から食事に誘われ、その帰りに車で送ってもらう途中で性行為を強要されたというものである。 行為そのものは、激しく抵抗したために未遂に終わったが、最近になって理由もなく解雇された。 未遂であろうが、なんであろうが、その医師が行おうとしたことは犯罪行為である。 投書によると、医師は病院長の息子で、父親は市内の有力者であるらしい。 そのためかどうか、綾部園子には病院の内外から様々な圧力がかかり、結果的に退職を余儀なくされたということである。 投書を読んでから、瑚堂のなかに猛然と闘志がわいてきた。 この投書が事実であれば、絶対に放置できる話ではない。 立場を利用して思いを遂げようとし、失敗すると今度は親の威光をかさにきて、事実を葬り去ろうとするなど、人間として卑劣きわまりない。 また、それを許してしまう父親や、周囲の人間たちも同様である。 瑚堂は、医療の世界に詳しくはないが、病院内での医師の立場が、どれほどのものであるかは容易に想像できた。 まして、相手が院長の息子であれば、一介の事務員から見れば天と地ほどの相違があるであろう。 このところ、あまり気乗りのしない仕事ばかりだっただけに、久しぶりに気持ちの高ぶりを感じていた。 こういう取材であれば、例え美沙のことがなくても、札幌まで飛んで行ったであろう。 試しにインターネットで該当の病院を検索してみると、ちゃんとホームページが公開されていた。 ただし、場所は札幌市内ではなく、小樽市の銭函というところである。 手紙には、病院の場所は書いてなかったので、渡部は女性の住所が札幌市内であることから、単純に市内の病院と思ったらしい。 見たところ、あまり大きな病院ではないらしいが、それでも一般の内科、外科から、胃腸外科や心臓外科、脳神経外科まで整った総合病院である。 院長は三枝明司(さえぐさ あかし)といい、東京の有名私立大学の医学部出身と紹介されている。 いろいろな団体の役員を務めていて、与党の国会議員の後援会長などもやっている。 そんな経歴を見る限り、本業の医者よりも、他のことに忙しい人物に思える。 地図を調べてみると、石狩湾に面した海の近くに建っているらしく、想像しただけでも寒そうな場所だった。 こんなところが、病院の立地としていいのかどうか、瑚堂にはわからなかったが、少なくとも閑静な場所であることは間違いなさそうである。 それにしても驚いたのは、病院や医院の数の多さである。 小樽市内だけでも、眼科や歯科まで入れると二百九十四もある。 札幌市に至っては、三千三百九件も見つかった。 いったい、日本全国でどれだけの病院や医院があるのか想像もつかない。 その一方で、医者が一人もいない地区も存在しているのである。 インターネットで、札幌市内のホテルを探して予約を入れる。 本当なら小樽のホテルに泊まるところだが、選べるホテルが少ないのと、投書の主である綾部園子の住所が札幌市内であるところから決めた。 大通公園に面したホテルで、以前にも泊まったことがあった。 宿泊先が決まると、航空会社のホームページを開き、会員番号やパスワードを入れて飛行機の予約をする。 カードで支払うなら、これで空港に行けばいいのである。 宅配便で戻ってきたばかりのバッグを開き、着替えやノートパソコンを詰め込む。 その上で、宅配業者のホームページから集荷を依頼する。 こういう場合、瑚堂はインターネットをフルに活用していた。 いちいち電話をかけて物事を依頼するより、よほど便利である。 聞きなおされたり、確認のために同じことを言ったり聞いたりする煩わしさがないし、それに間違いも少ない。 一通りの準備が終わると、煙草に火をつけた。 地図を開いてみると、小樽の銭函へは函館から室蘭、苫小牧を経てやってくる函館本線で三十分ほどの距離である。 札幌からは、地図の上で右手の方に走って行く線路がある。 岩見沢、滝川を経て、美沙がいる旭川へ行く。 改めて調べてみると、一番早い特急列車で、八十分もあれば着くらしかった。 |